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   平成28年12月04日  
 
三ヶ根山 殉国七士慰霊祭 
 
   
   
極東国際軍事裁判でA級戦犯となった「七士廟」があります。

 正に、勝者が敗者を裁く裁判によって東条英機元総理大臣ら
が有罪となったわけですが、昭和27年4月28日に日本が
独立回復をしたとき、全国で戦犯赦免運動が起こり
4千万もの署名が集まりました。
 そして、昭和30年に「戦犯赦免に関する決議案」は
国会で満場一致で
恩赦が決定しA級戦犯といわれた人達の
遺族にも恩給が支給されるようになった。つまり、
戦犯では無くなり名誉は回復された
 なのに、この経緯も知らない政治家や国民は
今も戦犯呼ばわりしている。

 まず、日本人なら「殉国七士」のことは知っておくべきだ。
◎東条英機(陸軍大将、内閣総理大臣)
◎広田弘毅(文民、内閣総理大臣)
◎板垣征四郎(陸軍大将、関東軍参謀長)
◎木村兵太郎(陸軍大将、ビルマ方面軍司令官)
◎土肥原賢二(陸軍大将、特務機関)
◎松井石根(陸軍大将、中支那方面軍司令官)
◎武藤章(陸軍中将、第一四方面軍参謀長)
 この方々の死刑執行は昭和2)年12月23日に行われた。
 この日は、当時皇太子殿下であった
今上陛下の誕生日でもあります。

 これは、日本に対する報復裁判であることを連合軍が内外に
示したものとされる。

 遺体はその日のうちに焼かれ、遺骨は横浜市久保山火葬場の共同骨捨て場に捨てられたところを、12月25日の夜に密かに持ち出して伊豆山中に安置した。
 そして、昭和33年4月28日、日比谷で開かれた東京裁判
弁護団解散記念会で、墓碑建造計画を発表すると猛烈な
反対運動が起こった。しかし、東京裁判の三文字正平弁護士ら
はあきらめないで運動を続け、ようやく昭和35年8月16日
「殉国七士」の廟を建立することができた。

 昭和54年2月26日、昭和天皇と皇后は愛知県豊田市の
植樹祭に出席されたが、豊田市から遠く離れた三ヶ根山の
グリーンホテル三ヶ根にわざわざ宿泊しました。
公務当日の朝、両陛下は殉国七士廟の方角へ向かって、
不動のままに20分近く佇立しておられたといいます。
このとき、天皇陛下の胸に去来したものは何であったろうか。
同年11月8日には美智子妃殿下と礼宮が同じようにされました。
さらに今上天皇も12月23日の誕生日には殉国七士墓に
毎年お使者らよる墓詣りを欠かさないそうだ。

 これは、「昭和天皇の殉国七士墓参り」とされる秘史です。

 そして昭和天皇が、靖国神社にA級戦犯を祀ったことを不快に
思い参拝をとり止められたとするならば「
殉国七士廟」に
参拝したことと矛盾することになります。




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